月布地区の地誌

月布の地誌

月布には寺浦遺跡に見られるように、縄文中期(4500年前)から人類が住んでいた。また、地名は「つきのぬの(調布)」で、租税を布で納めていたことに由来していると見られている。

大江氏の時代は、寒河江城主高基の弟隆広の居城「大城(だいじょう)」があり、月布には家臣林源太左衛門がいた。大江氏の終わりについては、近くに多くの伝説が伝わっている。

元和5年(1619)に宝蔵寺が建立され、真言宗智山派で宥盛権少僧都が開山である。また、熊野神社もあり、そのそばには、青苧(あおそ)の収穫期に税金をとった季節の松山藩番所が置かれていた。

江戸時代には月布の豪商・大庄屋大泉家が、月布川の管理権を握っていたので、いつの間にか漆川が月布川と呼ばれるようになった。

今日の月布の主な産業として、ベントナイトの採鉱や木材業などがある。(平成9年10月 大江町教育委員会)